• 第4回 感動させるために生きてはいない

    熊本地方を中心とした群発地震により、多くの方々が被災され、現在も苦しみの中で生活されている。一刻も早く適切な援助、また地震の終息を願っている。また自分自身が直接関わる支援を模索中である。そんな中、ボランティア募集についての記事にある言葉が目にとまった。「感動ポルノ」という言葉である。被災地の人々を支援に来る人々が、「大変な状況の人」を助けることによって自分が感動を得るためにボランティアをする。そんな状況に注意してほしいという記事であった。この言葉は障害者の人々の生活の中でも存在することを知った。イギリスの難病の障害者でもあるコメディアンの方(TED2014ステラ・ヤング氏)が詳しく説明してくれている。障害者、又は被災者を立場の弱い者として認識して、頑張る姿であったり、日常の姿を見て、感動する材料として障害者を消費しているということであった。また彼女は言う「社会がより強い障害となっている」被災者にとって、日常を取り戻すことが大切である。障害者にとっても同じく「普通に過ごす」ということが困難である。日常を切り取られ、「頑張っている姿」は健常者に感動することとして、消費されることは多くあるように感じる。昨年末、事業所の向いに障害児の施設が開所した。子供たちも日常の中でこの施設へ通ってくる。施設の開所記念会に招待されて、スタッフ、子供さん、子供の父母さんと触れ合う機会をもった。何か「特別なことをやってあげたい」そう考えている人は居なかったと記憶している。子供にあたりまえの日常を過ごしてもらいたい。そう願う父母さんからお話しを聞いた。私は近所の大人として関わろうと決めた。勝手ではあるが、子供の成長を励みに頑張ろうとする人として支援できればと思った。被災者、困難な立場にある方、障害者の方々の日常を感動ポルノとして消費しない社会を目指さなくてはならないだろう。私の日常で関わる、障害をもつ子供さんたちの日々の生活を、あたりまえの出来事として人々が受け入れている未来を、普通に暮らす近所の大人として想像しようと強く思う。

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    2011-03-26 330