2015/03/14 更新
大切にされるということ
子供の頃、よく「自家中毒」になっていた。ウィキペディアを調べると、アセトン血性嘔吐症(アセトンけっせいおうとしょう、acetonic vomiting)は、過労、精神的緊張、感染などにより誘引される嘔吐症で、血中にケトン体(アセトン)が多い状態になる。
と書いてある。
はっきりとした原因は解明されていないらしい。
その状態に、子供の頃よく罹ることがあった。
決まって「野口小児科」(野口英世先生そっくりな先生なので…実際の病院名は違います。)へ母が連れていく。
先生は「お母さん、何でもないよ、大丈夫だ。今日だけは好きなものを食べさせてあげなさい」と声をかけてくれる。
大抵病院に入って、先生に診てもらうころにはすっかり治っていることが多かった。笑
母も帰り道、好きなものを買ってくれた。
「ファンタオレンジ」を希望する。
母のシツケは厳しく、食べ物に対しても同じく厳しかった。
ジュースはダメだし、スナック菓子も指定された商品、 買い食いもバツだった。
自家中毒にならない限り、そして英世先生が許してくれることで「ファンタオレンジ」飲める。
だから英世先生を子供ながら尊敬していた。
「よく、わかってくれている」本当に最高のお医者さんだと思っていた。
先生はいつでも優しくしてくれた。
そして大切にしてくれた。
この記憶、先生から受けた愛情は今でもくっきりと心に残っている。
もう40を超えたというのにである。
そして現在の生活の中でも、あの優しい眼差しは本当に救いになる。
もう一つ英世先生に関係するエピソードを紹介したい。
先生に世話になった時期から20年が経ち、私も親になり子供を授かった。
ある時、実家へ帰省中に乳児の長男が高熱をだした。
正月でもあり、休日病院へ連れていく、全く回復しない、乳児は脱水になりやすいのだが、見たことのない汗をかく。
子供を早く適切に処置しなくては、死んでしまうかもしれない…そんな思いで焦り、不安を募らせた。
その時ふと「英世先生」のことを思い出した。
「先生しかいないな」そう確信した。
現在の実家は子供の頃とは違う場所へ移っていて、少し時間はかかるが、先生のとこへ行けばなんとかしてくれる。
近所の医者では乳児に点滴が入れられないこともあり、英世先生へすがる思いで受診した。
病院は以前と同じ場所にあった。
少し現代風にはなっていたが、あの頃と雰囲気は変わっていなかった。
「すいません。息子が高熱を出していまして、もう3日が経っています。なんとか点滴を打ってもらえないでしょうか?」
「わかりました。大丈夫ですよ。細いチューブで点滴しましょう。」
そう言って若い先生が丁寧に病状について説明してくださった。
高熱の原因である病気について…水分さえしっかり確保していれば心配はないこと、今後の処置、自宅へ戻ってからの主治医への手紙(病状について)まで付けてくださった。
子供への配慮も親への配慮も本当にありがたく感じた。
感動した。
帰り際「英世先生は元気ですか?」と聞いてみた。
「あ、父は5年前亡くなりまして」とかえってきた。
先生亡くなられのか…で息子さんが先生になったんだな。
息子さんに簡単に世話になって大好きであったことを伝えた。
息子さんもニコッとして喜んでくださった。
「また世話になりました。」心から感謝した。
人を大切に思う気持ち、そして行動は長い人生において大きな助けになるだろう。
そんな介護サービスを提供したい。