2021/10/19 更新
流浪 50周年 空っぽ人生
今年2021年 私50歳になりまして、少しこの空っぽ人生をご紹介させていただき、何かのご参考になればと希望します
20年以上前、介護の就職活動中合間でパン工場でアルバイトをした。コンビニ、スーパー等、どこにでも目にするパンを製造する広大な場所にある大きなパン工場。生地を機械でこねて成形して焼く、完成したパンを機械・人で検品、ラッピングして配送へ、一連のパンをつくる工程は、どこを見ても入る隙間のない規則正しい機械の動き、毎秒毎分同じことを繰り返すお仕事だ。たまに機械エラーがランプ点灯によって知らされて、整備する人間が駆け寄ってきて、機械の流れを元通りに戻す。アルバイトの仕事は、その日によって部署は変わる「一つのパンをつくる」ために、その工程は24時間体制で動く。工場の一部一員として働いた。 ある日焼く工程の大きなオーブンのある部署に配属された。ベテランの少し若いお兄さんがハキハキと「やるべき仕事」を丁寧に伝えてくれる。「ここは熱い場所だから休憩が多めにあり、都度水分補給して」休みがい多い。今日は運がいいかもな。そんな思いも束の間、熱さが想像以上で顔が熱い、肌が露出している部分の顔・腕は焼けるように熱い。これは休憩も仕方ない状況だと直ぐに分かった。何時間か灼熱の現場でパンをオーブンに入れる作業をして、長めの休憩となり、お兄さんと休憩することになった。お兄さんはそんなに疲れている様子はなかったが、私の方はヘトヘト状態だ。熱さもあって体力は消耗して天を仰ぐような気持ちでいた。お兄さんが、ここで焼いているパンを持ってきてくれて「食べていいよ」と渡してくれた。完成品として形が製品として不出来なものなどは工場内で処理するルールになっているから安全上問題ないから。毎日オーブンの担当で腕は日焼けしていた。「毎日たいへんですね」と声をかけた。「慣れてしまっているからそうでもないよ」高校を卒業して、このパン製造会社へ就職して10年以上やっている。私も介護の仕事に就きたいと希望していること、就職活動しているがうまくいかないこと。そんな話をしていたと思う。 それからしばらくの間、担当部署がオーブン担当が続き、こっちもだんだん身体が慣れてきて「なんだかイケてるな」そう思い始めたころ、お兄さんから、こんな話をされた。「パン工場ではパン職人には なれない」お兄さんが言うには、一つのパンをつくる工程がバラバラになっていて、設計書通りに材料を配分し機械に入れ、機械がこね、機械が焼き、どこかの街へ持っていき販売する。ここでは何十年務めても「一人でパンをつくることができないんだ」サラリとそんな話をした。歩んできた時間を振り返ると、仕事を「職業」として意識した瞬間だと思う。
次回 職業 介護 デイサービスです。