末岡日記

株式会社ゆたかなビレッジを運営する、
末岡正博の日々を綴る日記です。

  • あなたは変わらないですね。

    または変わりましたね。

    私のことを以前から知る人から言葉をかけられることがある。

    変わらない、変わる、どちらも良く思ってくれた場合と、わるい印象の場合とがある。

    私の場合、変わってほしくない、そんな願いがある、かわりませんね。が多いかもしれない。

    変わらないでいることが安心である。

    そう思う方が増えているのかもしれない。

    変わらないでいる故郷の風景、実家の部屋、恩師、変わらないでいることが支えになる。

    私でよければ、と思う反面、変わらないとな。笑

    ホント思う。

      

  • よく忙しいふりをする。 笑

    年間を通して、私の役割としてある仕事には「忙しさ」の波がある。

    どちらかと言うと、奇数月が忙しくなる傾向にある。

    様々な問題 の波が次々とやってくるが、波にも高低があり、たまに凪もあったりする。

    ヒマがぽかっと空く。

    たまっている細々仕事を片っ端から処理することにしているが、忙しい時のペースでやるものだから直ぐに片付く。

    ヒマにしていると、職員たちにわるい様な気もして「忙しいふり」をしてしまう。

    結局のんびりとは仕事できない。

    緊張もとれないでいる。

    情けないと思いながらいる。

    ただ、よく考えると、私が忙しくしているか?していないか?そんなに誰かが気にしていないだろう。

    職員にしてみても、毎日、現場で仕事に向き合っているわけだし、私がどうしているか?

    気にしている方は少ないだろう。

    自分自身で、忙しいふりをしているだけのこと。

    「人に認められたい」または「私はここですよ」という隠れた思い、願望の表れなのでしょうか…

    ありのままで生きるカッコよさにはまだまだ到達できないですね。

    人が自分を「どう思うか?」「どう感じているか?」気になってしまうことは消せないでいます。

    消すことは無理なのかもしれませんが、気にする度合いを調整できる心をもちたいですね。

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  • 40を過ぎて特に思いが強くなる「継続」について、です。

    特に「仕事」を継続する。

    「介護の仕事」を継続することには大切な思い、心の立ち位置がある。

    1、相手が受け入れてくれるか?

    自分の思いを伝える前に、相手の思いを受け取る心の状況であるか?

    これが無いと相手は受け入れない。

     

    2、相手が受け入れてくれて、必要としてくれているか?

    日々、毎日、必要としてくれているか?その場にいる人すべてがそう思っくれているか?

     

    3、以上を常に振り返り、素直に、また毎日仕事を継続できる、「心」であるか?

    自身がいいスタンバイをしてないと、何もいいことはないと、私は心がけている。

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  • 10月からの日々 2015.10.17更新

    毎年10月を過ぎると年末が見えてくる。

    今年はハロウィン、クリスマスを同時に展示する店が増えた。

    やはりハロウィンは若者の仮装パーティーが有名で、クリスマスまで浸透しているわけではないからだろうか?

    この時期になると、過ぎし日を惜しく思う。

    1日を大切にとは考えるが、やっておくべきことが後から湧いてくる。

    昨年も大きな問題を抱えていたことを記憶している。

    緊張感の日々、問題が進展してホットして、インフルエンザになった。

    久しぶりの風邪に5日間動けなくなった。

    今年は気を抜かないように正月まで行こうと思う。

    ところで今、「個人面談」を始めている。

    私のことを信じて、前職から移動してくれた方もいる。

    何かしら、その方の中で希望をもってくれて来てもらった。

    自身も希望を持ち起業した訳だが、この「希望」を持ち続けることに正直苦労している。

    立派な経営者は「希望」をいつも燃やしている。

    個人面談は職員から「希望」をいただいた。

    自分の希望を燃やし続ける燃料になった。

    まだまだ修行の道は続く。

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  • このところ吹く風も冷たく感じるようになった。

    この数年の緊張の度合いは、恥ずかしながら限度を超えているのだろう。

    シャンとはしているが、思わぬ不調に出会う。

    ただそれとは逆に

    これまで感じることのなかったことを体感するようになった。

    「吹く風から栄養を感じる」ようになった(笑)

    失うものあれば、得ることもあるのか…

    空気に栄養があると考えるようになった。

    風が吹く時は「手を少し広げて受け止める。」

    一人帆船になる。

    あまりやると皆様から不思議がられるでしょうから、適度にやります。

    横浜は潮風が吹きます。

    潮風は「やる気を注入」でしょうか。

    また、山風は「リラックス」です。

    秋風はどこか頭をクールダウンして、冷静さを取り戻す最適の風。

    身体への様々な「栄養」を自然に受け取れる仕組みがあるのか?

    自分がおかしいのか?

    おしえてくださる方あれば語りましょう。

    みなさまお元気で。

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  • 人それぞれの風雨 2015.08.03更新

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    この夏は暑さが格段に厳しい。

    暑さも大変だが、また風雨もツライ。

    自然現象の風雨もツライが、人生に於いての風雨もまたツライ。

    中学生の自殺を伝えるニュースは心が痛んだ。

    「なんとかならないものか」とも強く思う。

    自身の行動、言動を再度見直す。

    できることを探しやるしかないと考えている。

    中学生も大人も平等の風雨がやってくる。

    私の仕事「介護」にも、また友人の「一般企業」にも同じくツライ風雨があると聞く。

    人それぞれツライことがあって、何とかしようと思い、悩んでいることだろう。

    地球上に住む人すべてが同じくそうなのだろう。

    ゆたかな村に集まってくれている人

    それぞれの風雨を感じて「私のできること」をやるしかないと思う。

    自分の風雨は、皆さんの風雨の中にあり、一人ひとりが「視界が開ける」

    その時が私の視界も開く時でしょう。

    一人ひとりに応えるしか道はない。

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  • 心を前へ向ける 2015.07.11更新

    創業して6年目になる。

    多くの人との「つながり」が支えになり、継続できるカギと気付いた。

    これまで多くの助言、ご指導をいただいてきた。

    しかし時に心を前に向けて進むことができない場合もある。

    事業3年目に大きく体調を崩した。

    寝るしかない病状になり3週間、身体を横にしていた。

    こんな時、心を前へ向けることは至難の業だと、身をもって体感した。

    お仕事の師でもあり、人としての育て親でもある「山田富也氏」のことをずっと考えていた。

    富也さんは、自らが筋ジストロフィーという難病を抱えながら、障害者団体運営、施設の経営、

    障害者自立のための活動を一手にやってのけるリーダーであった。

    24時間、365日体調がよくない状態でありながら、私に対しても、時には叱る、褒める、励ます。

    励まされた記憶が特に鮮明にある。

    心から関わっていただいたのだろう。

    先日も心を悩ませる事態があった。

    これまでも同じ心境、状況の連続であるが、特に立ち止まる事態に遭遇した。

    ふと、富也さんが書いた「聖芯源流」という本を手にした。

    この本もまた、ずっと支えてくださっている方から創業時にいただいた本であった。

    「あなたに読んでもらいたいから・・・」ということで、仙台から電動車いすに乗って訪ねてくださった。

    ちょうど自分が富也さんと出会った時と同じ年齢になり、何かを求めるように読んでいた。

    その本は、富也さんが病を抱えて生きる中で人々との出会い、思いをありのままに伝えるといった内容である。

    その中「ホーキング博士」と会話した時のエピソードが心救われた。

    ホーキング氏が話した「病をもって生きる上で、不安をもつということはあなたの可能性を削ぐことになります。」

    という言葉であった。

    ホーキング氏は「私は世界を旅する中で自分の体調を心配したことがない・・・」と

    自分自身の可能性を信じるということは、ここから始まるのだろうか。

    多くの不安を抱えて生きるということは、たしかに可能性を将来に見ることはできないだろう。

    病を抱えて、不安と闘い、また将来の可能性を考える、富也さん、ホーキング博士。

    多少の病を抱えて生きる私にとって「生きる道標」になる。

    心を前に向けることを、役割としてをもっていることを誇りに思わなければなりせんね。

     

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  • 7月1日は私にとって少し立ち止まる日になる。

    2009年の7月1日事業を開始した日だ。

    前日に事業所内の清掃、送迎車の清掃、スタッフへの伝達など、気付いたら日付が7月1日になっていた。

    この日を迎えるまでも結構いろんなことを乗り越えたが、まだまだ山は続きそうだった。

    開業初日、利用者様はゼロであった。

    次の日からは2名ご利用者 様がご利用された。

    本当に嬉しく又緊張してお迎えしたのを現在でも覚えている。

    今年で6年目となり、毎年この7月1日を迎える度に「さて今年はどんな年だったか?」振り返る。

    2011年の時は、震災の影響もあって、暗く先の見えない不安がスタッフ全体にも見えた。

    昨年は分社もあって、「がんばってくぞ」と気合を入れたように覚えている。

    さて、今年はなんだか静かに過ごしている。

    相変わらず余裕のない生活ではあるが、なんだ気持ちは落ち着いていた。

    人々の集まる中で過ごせたこと。

    多くの人々に支えられていることをやっと実感できたからなのだろうか?

    やっぱり人と関わり、つながることが心のゆたかさになる。

     

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  • マーボー豆腐 2015.05.27更新

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    マーボー豆腐には思い出がある。

    料亭で働いていた頃の話だ。

    料理人はお客様への料理をつくるが、もう一つ料理人の食べる「まかない」もつくる。

    料理人が日替わり当番で一人でつくる。

    ちなみに、私の得意まかないは「温麺」であった。

    18人いた料理人の中でも、ナンバーワンは四国出身の先輩がつくる「マーボー豆腐」である。

    生姜、葱、を丁寧に刻み、和風の味噌仕立てで仕上げる。

    ご実家が中華料理店をされていて、息子さん二人が和食、洋食の料理人の修行をして、将来、和洋中のある料理店を開店されるとの夢があった。

    そのご実家直伝の「マーボー豆腐」と和風の味がプラスされていたわけだ。

    「末岡!お前今日のまかないは何がいいかね?」

    毎度「マーボー」を注文する、仕事の時とは違い優しく毎回要望を聞き入れてくれた。

    そんな先輩が不慮の事故で亡くなったと友人からの噂で知った。

    料理の世界から介護・福祉の世界へ転職する際も、荷造りダンボールへメッセージを書いてくれていた

    自分がオヤジになった現在でもあたたかく思う。

    誕生日にはサプライズでカラオケを熱唱してくれたこともあった。

    仕事には厳しく、叱られ注意していただいた。

    そんな優しくあたたかい人のつくるマーボーにはもうお目にかかれない。

    だから、たまに自分でもマーボーをつくる機会がある。

    あの味を思い出し、丁寧さを心がけ、優しい和風味に仕上げる。

    料理にはその人の思いが込められるということを教わった。

    中華街では味わえない「和中マーボー」是非という方はおつくりしますよ 笑

  • 子供の頃、よく「自家中毒」になっていた。ウィキペディアを調べると、アセトン血性嘔吐症(アセトンけっせいおうとしょう、acetonic vomiting)は、過労、精神的緊張感染などにより誘引される嘔吐症で、血中にケトン体アセトン)が多い状態になる。

    と書いてある。

    はっきりとした原因は解明されていないらしい。

    その状態に、子供の頃よく罹ることがあった。

    決まって「野口小児科」(野口英世先生そっくりな先生なので…実際の病院名は違います。)へ母が連れていく。

    先生は「お母さん、何でもないよ、大丈夫だ。今日だけは好きなものを食べさせてあげなさい」と声をかけてくれる。

    大抵病院に入って、先生に診てもらうころにはすっかり治っていることが多かった。笑

    母も帰り道、好きなものを買ってくれた。

    「ファンタオレンジ」を希望する。

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    母のシツケは厳しく、食べ物に対しても同じく厳しかった。

    ジュースはダメだし、スナック菓子も指定された商品、 買い食いもバツだった。

    自家中毒にならない限り、そして英世先生が許してくれることで「ファンタオレンジ」飲める。

    だから英世先生を子供ながら尊敬していた。

    「よく、わかってくれている」本当に最高のお医者さんだと思っていた。

    先生はいつでも優しくしてくれた。

    そして大切にしてくれた。

    この記憶、先生から受けた愛情は今でもくっきりと心に残っている。

    もう40を超えたというのにである。

    そして現在の生活の中でも、あの優しい眼差しは本当に救いになる。

    もう一つ英世先生に関係するエピソードを紹介したい。

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    先生に世話になった時期から20年が経ち、私も親になり子供を授かった。

    ある時、実家へ帰省中に乳児の長男が高熱をだした。

    正月でもあり、休日病院へ連れていく、全く回復しない、乳児は脱水になりやすいのだが、見たことのない汗をかく。

    子供を早く適切に処置しなくては、死んでしまうかもしれない…そんな思いで焦り、不安を募らせた。

    その時ふと「英世先生」のことを思い出した。

    「先生しかいないな」そう確信した。

    現在の実家は子供の頃とは違う場所へ移っていて、少し時間はかかるが、先生のとこへ行けばなんとかしてくれる。

    近所の医者では乳児に点滴が入れられないこともあり、英世先生へすがる思いで受診した。

    病院は以前と同じ場所にあった。

    少し現代風にはなっていたが、あの頃と雰囲気は変わっていなかった。

    「すいません。息子が高熱を出していまして、もう3日が経っています。なんとか点滴を打ってもらえないでしょうか?」

    「わかりました。大丈夫ですよ。細いチューブで点滴しましょう。」

    そう言って若い先生が丁寧に病状について説明してくださった。

     

    高熱の原因である病気について…水分さえしっかり確保していれば心配はないこと、今後の処置、自宅へ戻ってからの主治医への手紙(病状について)まで付けてくださった。

    子供への配慮も親への配慮も本当にありがたく感じた。

    感動した。

    帰り際「英世先生は元気ですか?」と聞いてみた。

    「あ、父は5年前亡くなりまして」とかえってきた。

    先生亡くなられのか…で息子さんが先生になったんだな。

    息子さんに簡単に世話になって大好きであったことを伝えた。

    息子さんもニコッとして喜んでくださった。

    「また世話になりました。」心から感謝した。

    人を大切に思う気持ち、そして行動は長い人生において大きな助けになるだろう。

    そんな介護サービスを提供したい。